
現在一児の母で、働きながらこども食堂も運営している西脇 亜実(つぐみ)さん36歳。離婚してから、朝から晩まで働く母親とはケンカもしたけれど、心の底から感謝しているそうです。西脇さんはどんな半生を歩んだのか、シングルマザーとして男の子二人を育てている西脇さんと同じ36歳、土井 香奈がインタビューさせて頂きました。
インタビューアー:土井 香奈
取材日:2019年11月12日
” 祖父母がいてくれたのが最高の環境 ”
—シングル家庭になったのはいつごろですか?
2歳の時です。両親が離婚して、祖父所有の一戸建てに母と祖父母と一緒に暮らすことになりました。母は保育園の送り迎えをしながら、昼はOL、夜は清掃の仕事する多忙な生活を送っていて、帰宅が遅いため平日の夕食は祖父母と私の3人で食べていました。
それが私にとって当たり前の日常で、祖父母はとても優しかったので、生活は充実していましたね。
—祖父母はどんな人でしたか?
祖父は大学の事務で働く一方、剣道の師範で、母を育てた時はとても厳しかったそうですが、私にはとても優しく、幼い頃は何かと甘やかしてくれました。
祖母も優しく、よく喋る人で、寝る前はいつも子守唄を歌ってくれました。母親がいない寂しさはありましたが、家にいつも祖父母がいてくれるのは、私にとって最高の環境でしたね。
” 母親が私に手をあげたワケ ”
ー子どもの頃、お母さんとはどんな関係でしたか?
小学校高学年の時は、母とよく口喧嘩をしていて、ある日、母が「誰のために働いていると思ってるの?」と言ったとき、私は「誰も働いてくれなんて頼んでいない!」と言ってしまったことがありました。当時の私は、仕事で疲れている母の姿を見ても、何も感じられなかったんです。
その後、高校生でアルバイトを始めて働く大変さを知ったとき、母の苦労がわかり、アルバイトで稼いだお金で「お母さんに何かを買ってあげたい」と思うようになりました。
—つらかった思い出はありますか?
母はすぐにカッとなる性格で、ハンガーで何度も叩かれたり、ガムテープを口に貼られたこともありました。寝ているときに、夜中に仕事から帰ってきた母に蹴られたことも。
でもそれは、母が祖父から私のいたずらについて、厳しく怒られていたことが原因だったようです。
私が中学生になってからは、私に力がついて母に抵抗できるようになりましたが、一週間、口を聞いてくれない時もあったので、つらかったですね。
こうした母の行動は苦い思い出ですし、トラウマでもあります。母は当時のことを覚えていないと言っていますが、私ははっきりと覚えていて、自分の子供には絶対に同じ事はしないと、心に決めています。
だけど今思えば、母は朝から晩まで働き詰めで大変だったし、厳格な祖父から私の事を注意されて、ストレスや怒りの矛先は私しかいなかったのだと思います。
” 「あなたが決めたことだから反対しない」 ”
—お母さんとの関係が良くなったのはいつ頃ですか?
高校生になってからはとても良好な関係で、祖父が母に厳しかった不満と反動から、母は私には自由を与えてくれました。
友達と電話をしたい私に、部屋に電話をひいてくれたり、私が友達と遊んで夜遅く帰宅する時は、祖父に怒られないように「亜実は友達の家に泊まる」と事前に伝えてくれたことも。母から信頼されていると感じましたね。
—いま、お母さんにどんな想いを持っていますか?
私がやりたいことは何でもやらせてくれたし、意見も尊重してくれたことを、とても感謝しています。
高校受験の時、私の成績で先生が勧めた高校は地域の中でも一番偏差値の高い進学校でしたが、一番仲のいい友達が行ける高校は、地域で一番学力レベルが低い高校で、私は母に「その高校に友達と行きたい!その高校でずっとトップの成績をとるから!」と反対覚悟でお願いしたんです。すると母は「あなたが決めたことだから反対しない。頑張りなさい」と、すんなり受け入れてくれたんです。
高校三年生で進路を決める時も、母を早く楽にしてあげたかったので、すぐに就職できる専門学校に進学を希望したのですが、大学の事務で働いていた祖父は私に大学進学を勧めていて。
でも、母は専門学校に進学させてくれたんです。専門学校の学費は想像以上に高かったですが、3年間文句も言わず通わせてくれました。
礼儀礼節も厳しく母から学び、今でも人との関りで大切にしているので、感謝していますね。
”新しい『家族』をくれた母のパートナー”
—離婚後、お母さんに新しいパートナーはいましたか?
私が物心ついた時から、母にはAさんという彼氏がいました。一緒に休日を過ごしたり、旅行に連れて行ってくれたり、運動会やエレクトーンの発表会にも必ず顔を出してくれたし、私が悪いことをしたら叱ってくれました。
私は欲しいものがあると、まずAさんに相談していて欲しいものを買ってもらうことも多かったですし、中学時代にポケベルを買ってくれたのもAさんでした。
—亜実さんにとって、Aさんはどんな存在でしたか?
安心できて頼れる存在でしたし、思春期になっても反抗期はありませんでした。しかし、事情があって私たちと一緒に暮らしてはいなかったので、「大好きだけど、父親ではないのだな」と子供のころから認識していましたね。学校で父親の絵を描く課題の時も、Aさんでなく祖父を描いていました。
Aさんと母との関係は途絶えることなく、私が大人になっても二ヶ月に一回は私を含めた三人で食事をしていました。この空間は私にとって安心できる場所で、三人は本当の「家族」でした。Aさんは数年前に亡くなったのですが母と一緒にいてくれたAさんには、今でも感謝しています。
” 会いたくなかった父に「今は会いたい」 ”
ーお父さんに会いたいと思ったことはありますか?
物心ついた頃は顔も知らなかったので、会いたいと思ったこともありませんでしたが、一方で父親がいない悲しさは感じていました。母に父の事を聞いたことをありますが、母は決して悪くは言いませんでしたね。
小中学校時代は、自分に父がいない事を誰にも知られたくなかったです。父親がいない私をかわいそうと思われたくなかったし、両親がいる子ども、片親の子どもで分けられたくなかったからです。
でも、大人になって会ってみたいという気持ちが大きくなりました。Aさんを失った悲しみがあるかもしれませんが、単純にどんな人が自分の父親なのかが知りたいです。
これまで私の二十歳の誕生日、三十歳の誕生日、結婚、出産という節目に父に会いたいと考えますね。
だけど、記録がなくて自分たちで探すことができないのが現状です。
” 片親でも自信を持ってほしい ”
—最後にひとり親で子どもを育てている親御さん達にメッセージをお願いします。
シングルマザー、シングルファザーの多くの人が”片親だから”と後ろめたい思いをしているかもしれません。
しかし、子どもは大人が思っている以上に、環境に順応していくので安心してほしいです。
両親がそろっているから幸せだということはないですし、片親でも愛情があることを自信を持って、子どもたちに伝えてあげてほしいです。

取材を終えて
今回西脇さんと私は同じ年齢で、また現在男の子ママということで取材させていただきました。西脇さんが母親から手をあげられていた事、母親とAさんとの関係など、赤裸々に話してくださいました。一番身近な母親との関係で辛い経験をしながらも、高校生の時には彼女との関係を修復し、今では感謝できているところが素晴らしいと感じました。それは西脇さんが感じた、母親からの「愛情や信頼」が勝ったからだと思います。
どんな理由であれ、子どもに手をあげて良いとは思いませんが、もしそういう行動をとってしまったとしても、親子関係は修復できるし、それを乗り越えて、子どもが大人になった時に、親の苦労を理解し、許し、また深い絆で結ばれるのが親子だと感じました。私も今できる精一杯の「愛情」を子ども達にかけたいと思いました。
Aさんや祖父母との関係についてですが、自分の子どもを1人で育てようと思わず、祖父母はもちろんですが、血が繋がっていなくても、Aさんと西脇さんのように「心から子どもを愛してくれる他人はいる!」と確信できました。そういった信頼できる人を選ぶのも母親次第だと思いますし、西脇さんのお母様も、Aさんの人間性を見極められたからこそ、Aさんと永く続く信頼関係を築けたのだと思います。
「どんな環境でも子どもは大人が思っているよりも順応していく。」西脇さんのこの言葉も心が軽くなりました。私もこれからもみんなに頼りながら、子育てを楽しみたいです!
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