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「母を癒してあげたい」僕の仕事のきっかけになった、温かい思い出

人を癒すお仕事をされている横山勇大さん31歳。家族とのふれあいが今の仕事に繋がっているそうです。「人に迷惑をかけてはいけない」という真面目で責任感の強い母の口癖は、幼少期の勇大さんにはちょっとつらい言葉となってしまいました。

勇大さんは当WEBサイトも関りがある”シングルズキッズハッピープロジェクト(SHP)”の運営員としても活動しています。今回はSHPの仲間として土井香奈がインタビューさせていただきました。


インタビューアー:土井 香奈

取材日:2019年11月20日





” 会話のない食卓 ”

シングル家庭になったのはいつごろですか?


僕が1歳の頃、父の事業が失敗したことがきっかけで両親が離婚した、と大人になって母に聞きました。離婚後は大工をしていた祖父が建てた一軒家で、祖父と母、2歳上の姉と4人で生活していました。祖母は僕が生まれてすぐに亡くなっています。

 

祖父は昔やんちゃだったそうで、母は「祖母を苦しめた人」という認識で、よくは思っていなかったようです。そのせいか祖父と母はケンカはしないものの、仲がいいとは言えませんでした。家族で食卓を囲むときは、無言でそれぞれがTVをみる、という食卓でした。


” 肌と肌のふれあいが大切な思い出 ”

—おじいちゃんとよく一緒に過ごしていたそうですが、どんな思い出ですか?


時代劇と煎餅が好きな祖父と、よく寝転がって添い寝して煎餅を食べながら時代劇を見ていました。祖父に”ぴったりにくっついて”いましたね。

たまに近所の中華屋さんに、僕の好きなラーメンを2人で食べに行ったりもしました。祖父は言葉は少なかったですが、僕たちに姉弟に優しくしてくれました。


—お母さんとの印象的な思い出は何ですか?


母が換気扇の下でタバコを吸っている足下でも、母の足にくっついていましたね。なんだか、とにかく触れてたかったんです(笑)


朝起きられない僕の背中を、僕が「もういいよ」と満足するまで毎朝さすってくれたことも、僕にとっては良い思い出ですね。今でも思い出すと心にあたたかく、その温もりが蘇ります。今の僕の仕事もこれが原点だったと思っています。


ー目覚めたら母が居ない


僕が4歳ぐらいのある日、お昼寝をして目覚めたら家に誰も居なかったんです。その時は”家族みんながどこかに行っちゃったんじゃないか”と頭が真っ白になりました。


結局、母と姉は離れの家でピアノの練習をしていただけで。練習を終えて母屋に戻ってきた母に僕は駆け寄り、「どこへ行ってたんだよ!」と大泣きしました。母は「ごめん、ごめん。お姉ちゃんのピアノの練習をしてたんだよ」と僕をぎゅっと抱きしめてくれました。その時の絶望感と、安心感は今でも鮮明に覚えています。




” 母も自分も苦しめた「誰にも迷惑をかけてはいけない」 ”

—我慢したことはありますか?


小さい頃は子どもが母親に、「なんで?」「聞いて!」というシチュエーションがあると思うのですが、僕は母に何も聞かなかったし、話さなかったです。なぜかというと、母は口癖のように「人に迷惑をかけてはいけない。」と僕や姉に言い聞かせたからです。

母自身が人との関わりの中で、そういったポリシーを持って生きていて、離婚したことで「これ以上祖父に迷惑をかけられない、かけては絶対にいけない。」という考えが溢れていて。


僕たち子ども達にさえ迷惑をかけてはいけないと、母から感じさせられるくらいでした。その為、僕自身も小さい頃から”母に迷惑をかけてはいけない”という思いから、母に何も聞けなかったし、話しませんでしたね。


ー我慢の反動はありましたか?


小学校3年生の時にいじめに遭うかもしれないという時に、学校に行きたくなかったし、本当はどうしたらいいか母に聞きたかったのですが、聞けませんでした。結局いじめに遭うことはなかったのですが、とても不安でした。


母に何も話せない反動か、”友達から借りたものを借りパクしてしまう”という問題行動も起こしました。カードゲームやゲームカセットなど、ものすごい量の友達のものが僕の家にあったので、母に「これ誰の?」と尋ねられたこともありましたが、僕は「友達から借りている。」といつもウソをついていました。


今思えば、問題行動を気づいてほしかったのかもしれません。寂しさはあったと思います。万引きをする子どもも同じ気持ちなのかもしれないですね。


” 思春期以降、迷惑をかけ続けた ”

—思春期になって変化はありましたか?


小学6年生から中学1年生の思春期真っただ中は、それまでの不満が大爆発してましたね。「こんな状況になったのも、あなたが離婚したせいだ!」と大声で母を罵倒し、壁をグーで殴ったことが何度かありました。


中学2年になると、僕は母に対して喋らない反抗期なりました。母が鬱陶しくてしょうがなく、話しかけたり近くにいないでほしくて。


僕が友達と遊んで帰って、家族とは別の時間に食事をする時、母は僕がお代わりをするから食卓に座り、僕のお代わりを待っていてくれました。当時は「お代わりくらい自分でできるから、どこかに行ってくれ。」と思っていましたが、口も聞きたくなかったので何も言いませんでした。これも今思うと、母の愛だったなとしみじみ感じます。


—誰にも迷惑をかけてはいけないはずが…


専門学校を卒業し、いくつかの仕事とアルバイトを始め、都内で一人暮らしを始めた頃です。僕は子どもの頃から小遣いが無くなったら母に言えば貰えるという生活をしており、一人暮らしをしても実家に家賃の滞納や延滞金の督促状が届き、それを母が払うという日々が続きました。


挙げ句の果てに、原付に乗っていたのですが度重なる違反で警察に捕まり、夜通し実況見分をしたことがあって。母が警察署に迎えに来てくれたのは、朝日が上がり始める頃でした。


母は警察署で僕のために平謝りをし、とても残念そうな顔でしたが、激怒することもなく、無言で僕を家に連れ帰ってくれました。


その帰宅するまでの道のりが、どれだけ長く感じたか。流石にその時ばかりは、「母親にこれ以上迷惑をかけてはいけない。」と僕はやっと目を覚ましましたね。

以降、僕は実家に戻り、今まで母が僕にしてくれた分を、少しでもお返しようと努力しています。



” 今思う父母への想い ”

—お父さんのことはどう思っていましたか?


生まれて一度も父親を見たことがなかったので、会いたい・知りたい気持ちは子供の頃はなかったです。父親がいないことに関して良いも悪いも何もなく、周りに父親がいない友達もいましたが、友達の間で父親がいる、いないで区別される経験はしませんでした。


僕が二十代前半の時に裁判所から遺言書が届いて、父が亡くなった事を知りました。母と姉と共に、父が生前作ってしまった負の財産放棄をしなければならなく、その手続きは母が1人で行いました。


やはり僕たちに迷惑をかけたくなかったのだと思います。僕としては、もう大人なので手伝わせて欲しかったですね。未だに父を含め父方の親戚関係とのトラブルがあることから、母は父のことは話したくないようです。


僕も母がイヤなのに、無理矢理、父の事を聞くほど重要でもないので、そっとしています。またいつか話してくれる時がきたら、その時に聞けば良いと思っていますね。


—世界一美味しい母の手料理とプレゼント


食に関しては、母の中で優先順位が一番高く、どんなに忙しくても必ず家で手作りして食べさせてくれて。それも一品二品ではなく、いつもテーブルいっぱいにおかずが並んでいました。


新しいメニューをたまに作ってくれて、僕がうっかり「これ美味しい!」と言おうものなら、しょっちゅう同じ料理が出てきました。これは僕が母の愛を感じることの一つですね。僕は小さい頃からよく食べる子で、今でもですが、母が作るご飯がどこの高級料理よりも美味しくて、大好きです。


働いて初任給をもらったとき、初めて母親にお財布をプレゼントしました。母は本当に嬉しかったのか、その感情を味わうように喜んでくれていた表情が印象的でした。その後も、普段の生活の中で大切に使い続けてくれている姿がすごく嬉しかったです。


ー大人になって、母に触れるきっかけとなった”アロマタッチ”


27歳になる前、母親に今の仕事のエッセンシャルオイルを使って直接肌にふれるお手当療法、”アロマタッチ”をさせて貰ったことが人生の大きなターニングポイントでした。


思春期を越えてから母親にふれた記憶はほとんどありませんでしたが、僕自身が、背中にアロマタッチを受けたときに、”小さい頃に母親に背中をさすって貰っていた記憶”が蘇ったんです。すごくあたたかくて心地良かったのを良く覚えています。

受けた時の感覚をそのままに、母親にやってあげたいと思う気持ちが出てきました。


ただ、始めは僕自身も母親も恥ずかしさがあって母に言ったら「何かあった?!」と。「資格を取ったから練習させて欲しい」と言い訳があったから、母親にやらせて貰う口実がありました。

恥ずかしさもある中、いざアロマタッチをやったとき、最初のオイルを背中に塗った瞬間に、頭の中に幼いころ母親に背中に触れてもらっていた映像がフラッシュバックしたんです。

すごく愛されていて、優しい気持ちを思い出して涙が溢れてきました。


母親に色々な形で感謝を伝えてきましたが、言葉でなく、触れる事で自分のありのままの感謝の気持ちが溢れてきました。


アロマタッチが終わってからは、言葉は多くないのですが、深く繋がれた感覚があったのを今でも覚えています。本心を伝えるのが苦手な自分には、ふれる事でのコミュニケーションに出会えて本当に良かったと思っています。



—最後に


シングルで子育てをしている方々の力になれるプロジェクトだと強く思います。

僕はひとり親で育って、誰にも相談できない事、どうしたら良いか分からない感情を経験してきました。


そんな僕達シングルズキッズのメッセージを知る事で、救われる人がたくさん居ると思っています。




取材を終えて

まずびっくりしたのは、横山さんのひとり親で育った子どもとしての捉え方でした。「男の子は思ったより、ひとり親である事を気にしていないのか?」と個人差は大きいと思いますが、2人の息子を持つ母としては、あっけらかんさでした。

前回インタビューさせていただいた亜実さん(母親に育てられた女の子)はもっと母子家庭ということをセンシティブに捉えていたので、今回は拍子抜けしました。


母親や祖父との肌と肌の触れ合いエピソードはほっこりしました。スキンシップって大事ですね。

また一見正当な言葉と思われる「人に迷惑をかけてはいけない。」も行き過ぎると人を追い詰めてしまうこともあると感じました。


今回取材のお礼ということで、横山さんにアロマタッチをしていただきました!「人に迷惑をかけないで生きてはいけない。」「感謝の気持のお礼を心を込めてしっかりしよう。」そんな風に変換できている勇大さんは素敵でした。

また、どんなに忙しくても手料理を作ってくれる横山さんのお母様。私も同じく忙しくても手料理を作り続けているので、子ども達に愛情が伝わっていると信じて、これからも頑張ろうと思いました!


インタビューアー:土井 香奈

取材日:2019年11月20日




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